ストリートとキャンバスのあいだで
グラフィティライターnibsが探る表現の形
Text:Chisa Shiohira
湘南を拠点に活動するグラフィティライター(以下、ライター)/アーティストのnibsさん。湘南のグラフィティクルー・AVR、スペインのクルー・HDAに所属し、スペインにもたびたび足を運んでいる。
近年は作品制作や展示にも積極的に取り組み、当店でもこれまでに2度個展を開催。
自身の表現の源泉であるストリートとの関係性をテーマにした作品を発表してきた。
グラフィティを出発点としながらも、幾何学的な構造やゆがみ、陰影を用いた抽象的な表現へと展開する作品は、ストリートとギャラリーのあいだを行き来するような独自の魅力を持っている。
今年初めには、神保町にあるビルの屋上の壁面に作品を制作。グラフィティと作品制作、その両方の感覚が反映されたその作品には、現在のnibsさんの表現の変化が表れていた。
今回は、そんなnibsさんに、グラフィティとの出会いからスペインでの活動、そして現在の制作について話を聞きました。
— グラフィティを始めたきっかけ、AVRに入ったきっかけを教えてください。
地元の湘南にはグラフィティが多くて、子どもの頃から壁や標識に描かれたタグ※をよく見かけていたんです。当時はそれがグラフィティだとは知らなかったんですが、気になる存在ではありました。
本格的に興味を持ったのは、高校1年生のとき。転入してきた友人が教科書にタグを書いているのを見て、その後『INFAMY』※を見せてもらったことで、一気にグラフィティにのめり込みました。
そこからは友人と一緒に湘南の街を回ったり、実際に描いたりしながら少しずつ覚えていきました。その後、同じAVRのBAMSや2山と出会い、一緒にペイントへ行くなかで自然とAVRのメンバーになりました。
※タグ:ライターが名前を素早く書き記すサインのような表現。
※『INFAMY』(2005):ニューヨークをはじめ、アメリカ各地のライターたちを追ったドキュメンタリー映画。

nibsのタグ
— 昨年リリースしたZINE『Action in Madrid』や当店での展示『Always from the Streets』からは、スペインでの活動がnibsさんの制作に大きく影響していることがうかがえます。最初にスペインを訪れたきっかけは何だったのでしょうか。
きっかけは、海外製のスプレー缶に興味を持ったことです。初めてスペインのスプレーブランド・Montana Colorsの缶を使ったとき、日本製とは性能も描き心地もまったく違うと感じました。
日本製ならではの描き味を好む人もいますが、Montanaは垂れにくくて乾きも早い。色数も豊富で、世界中で支持されている理由がよくわかりました。
だからこそ、Montanaが生まれたスペインのグラフィティシーンがどんなものなのか、自分の目で見てみたいと思ったんです。

個展『Always from the Streets』(2025)で展示された作品

zine 『Action in Madrid』
— 現在は、スペインのグラフィティクルー・HDAにも所属していますよね。どのような経緯で加入したんですか?
初めてスペインに行ったとき、バルセロナにいる友人の知り合いを頼って行ったんです。でも、現地に着いた途端にその人と連絡が取れなくなってしまって(笑)。
どうしようもなかったので、とりあえず毎日のようにMontanaショップへ通っていました。そこには世界中からライターが集まっていて、通ううちに少しずつ現地の人たちとも知り合うようになったんです。
そのなかでMontanaのデザイナーを紹介してもらったのですが、その人がHDAのメンバーでした。すごく親切な人で、滞在中はいろいろ面倒を見てくれて。そこから他のHDAのメンバーとも交流するようになりました。
その後、HDAのライターであるAPESが日本に遊びに来たことがあって、そのときに東京を案内したり、サポートしたりしていたんです。そうやって交流を続けるなかで「HDAに入りなよ」と声をかけてもらい、加入することになりました。

APESとnibsのthrowup
— HDAにはどんなライターが所属しているんですか。
スペインのメンバーが中心ですが、ヨーロッパにも多くのメンバーがいます。日本では、自分と福岡のLURKの2人ですね。HDAのライターが描くグラフィティは、取り入れるキャラクターやモチーフがすごくかわいくて、全体的にポップな雰囲気があるんです。
— クルーに所属することは、ライターにとってどんな意味があるんですか。
憧れていたクルーに入れたらうれしい、という感覚は多くのライターにあると思います。HDAは歴史のあるクルーなので、加入できたことはうれしかったですね。でも、自分にとってはそれ以上に活動の幅が広がったことが大きいです。クルーに所属していると、メンバーがいる街を訪ねるきっかけができるんですよね。HDAに入ってから、バルセロナだけでなく、マドリードやマヨルカ島、セビージャなど、様々な場所を訪れました。

— スペインのグラフィティシーンは日本とどう違うんですか?
一番大きな違いは、やっぱり描ける場所の多さですね。スペインには廃墟や工場地帯が多くて、そういう場所では昼間から普通にグラフィティを描いているんです。
あとは、ライターのレベルの高さにも驚きました。現地でHDAのメンバーたちと一緒にペイントすると、線を引くのにも迷いがないし、描くスピードもすごく速い。やっぱり描いている量が全然違うんだと思います。
海外のライターたちと時間を過ごしていると、本当に刺激を受けます。自分にはない考え方やスタイルに触れられるので、その感覚が面白くて、いまでも何度もスペインへ足を運んでいます。

— グラフィティに対する社会の捉え方は、日本と違うんですか?
日本と比べると、「リーガルかイリーガルか」だけで語られない場面が多いように感じました。
描いていると、通りがかった人が足を止めて「グラフィティ好きなんだよね」と話しかけてくることもありますし、おばあちゃんが小学生くらいの孫にスプレー缶を買ってあげている場面を見たこともありました。
グラフィティのイベントも盛んで、顔を出したままアーティストとして活動したり、ライブペイントをしたりしている人もたくさんいます。バルセロナには大きな壁がある公園があって、そこで音楽を流しながらグラフィティを描くイベントが開かれていたりもするんです。
そういう光景を見ていると、ライターが「落書きをする人」ではなく、アーティストとして受け入れられている感覚がありました。実際に、グラフィティを仕事にして生活しているライターもいます。
もちろん、海外でもグラフィティにはリスクが伴います。ニューヨークにはVandal Squadというグラフィティ専門の捜査班がありますし、日本のライターでも海外で逮捕されて、暴力的に制圧されたりした人を知っています。そういう危険性があるのも事実ですね。

個展『My things』(2023)で展示された作品
— nibsさん自身は、グラフィティと作品制作をどのように行き来しているのでしょうか。
作品は、グラフィティを始めた頃から並行して描いていました。自分の中では、グラフィティはイリーガルな要素も含めて成り立つものだと思っています。だから、キャンバスの上で同じことをやっても、それは自分にとってはグラフィティとは別のものなんですよね。
キャンバスの上では合法ですし、時間をかけて自由に制作することもできます。せっかくなら、その環境だからこそできる表現を試したいという気持ちがあります。
ただ、グラフィティと作品を完全に切り離したいわけではないんです。自分がグラフィティをやってきたことは、作品をつくるうえで大きな土台になっています。
だから、グラフィティそのものを描くのではなく、グラフィティを通して培ってきた感覚や、自分に影響を与えてきたものを、キャンバスの上に落とし込みたいと思っています。
— 抽象的な表現は、nibsさんの作品の特徴のひとつだと思います。そうした表現へ向かったのには、どんな理由があったのでしょうか。
やっぱりグラフィティは違法性と切り離せないので、どうしてもそのままの形で伝えるのは難しいんです。だから、グラフィティそのものを描くのではなく、自分がそこで培ってきた感覚や視点を抽象化して表現するようになりました。

個展『My things』(2023)で展示された作品
— 具体的には、グラフィティの要素をどのように作品へ落とし込んでいるのでしょうか。
作品をつくるとき、まずiPadや紙にタグやスローアップ※を描くところから始めるんです。
グラフィティって、自分の名前を広めていくゲームでもあるので、作品を描くときも必ず自分の名前をモチーフにしています。そこから離れてしまうと、逆に何を描けばいいのかわからなくなってしまって。
真っ白なキャンバスを前にして考え込むより、とりあえず名前を書いて手を動かしたほうが自分には合っているんですよね。
そうやって描いていると、「このライン面白いな」とか、「この形は抽象化できそうだな」と思う部分が出てきます。最初から完成形を決めているわけではなくて、描きながら探していく感覚です。
スローアップのアウトラインの一部分だけを切り取って、キャンバスの中で展開することもあります。もともとは文字の一部だったものを拡大したり、組み合わせたりしていくと、全然違う形に見えてくるんです。それが面白いんですよね。
もちろん、そのまま使うわけではなくて、新しい要素を加えたり、筆を入れたりもします。でも、どんな作品でも出発点になっているのは、やっぱりグラフィティなんです。
※スローアップ(Throw-up): タグよりも大きく、簡略化した文字を素早く描く表現で、主にアウトラインと塗りで構成される。

— グラフィティにおいては、どのような表現を追求したいですか。
最近、長年同じスタイルを描き続けている先輩たちのあり方にすごく惹かれるんです。
これまでの自分は、ひとつのスタイルを続けるのがあまり得意じゃなくて。数回描くと飽きてしまって、「次は違うことをやってみよう」となっていたんですよね。
でも、ずっと同じスタイルを描き続けている人って、10年前の作品を見ても今の作品を見ても、「あの人だ」ってすぐに分かる。そういう人たちを見ていると、積み重ねることで生まれる説得力みたいなものをすごく感じます。
線一本を引くにしても、20年同じラインを追求してきた人の線と、その都度新しいことを試している人の線とでは、やっぱり違うんですよね。
何十年も同じ表現を掘り下げてきたからこその強さがあると思います。

— グラフィティと作品制作では、制作のアプローチも異なるのでしょうか。
一番大きな違いは、時間のかけ方ですね。
グラフィティは限られた時間のなかで完成させなければなりません。工程もある程度決まっていて、だいたい4〜5レイヤーくらいで完結します。
描き直しに行くこともほとんどないので、その一回でどれだけ良いものを残せるかが勝負なんです。
一方で、キャンバスの上ではいくらでもレイヤーを重ねられますし、納得できるまで何度でも手を加えられます。
そのぶん自由ではあるんですけど、どこで終わらせるかが難しいですね。

— 今年の初めには、神保町にあるビルの屋上に作品を描いていただきました。あの作品は、nibsさん自身にとってはどんな作品になりましたか?
あの作品は、自分のなかでグラフィティと作品制作との距離感を見直すきっかけになった作品でした。
普段はキャンバスの上でやっている表現を、今回は初めて壁の上で試してみたんです。
これまでは、ライターとして活動しているからこそ、作品制作でやっていることを壁に持ち込むことにはやはり違和感があって。でも最近は、その垣根をなくして、自分の制作の背景にはグラフィティがあるってことを、もう少し素直に出していってもいいんじゃないかと思うようになっていて。
実際にやってみると、自分が思っていた以上に自然な感覚がありましたね。

— これまでは距離を置いていたグラフィティと作品制作を、あえて近づけようと思ったのはなぜだったのでしょうか。
自分が作品をつくって展示するのは、グラフィティを知らない人にも見てもらいたいからなんです。
いままでは、作品を見ただけでは、その背景にグラフィティがあることはなかなか伝わらなかったんです。
でも自分の作品は、グラフィティライターとして活動してきた経験や感覚の上に成り立っています。
だから、そのルーツを隠すのではなく、作品を通してもう少し自然に伝えられたらいいなと思うようになりました。
抽象的な表現をしているので、作品自体は複雑に見えるかもしれませんが、自分が表現したいことの根っこにあるものはシンプルなんです。
グラフィティという言葉や文化を知らなくても、まずはひとつの作品として受け取ってもらえたら十分。そのなかで何かを感じてもらえたらうれしいですし、そこからグラフィティという背景にも興味を持ってもらえたら、なおうれしいですね。



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