ガラスに感情を込める。
ガラス作家・小牧広平が繰り返す日々の製作。

Text:Maruro Yamashita Photo:Yumi Saito
MAY 1 2026 | 

山梨県東部の少し見晴らしが良い場所に位置する、住まいと一体になった工房。ガラス作家の小牧広平さんはそこで日々ガラスを吹いている。
趣味として絵を描いていた祖父からの影響でガラスに興味を持った小牧さんのキャリアは決して順風満帆なものではなく、一度はガラスから離れていた時期もあったという。それでも、人との縁を大切にしながら、先ずは作るというスタンスを貫くことで、小牧さんは代表作ともいえる「ペコリグラス」を生み出した。
その後の小牧さんの活躍はめざましく、どこかしらで小牧さんのガラスを目にしたことのある方も多いはず。けれど、今でも小牧さんのスタイルは変わらず、製作を続けていくなかで生まれる悩みや感情を作品に込めている。その揺らぎ自体も「ペコリグラス」の魅力なのかもしれない、工房で小牧さんと色々と話をしてみて、そう感じた。

—  地元は八王子なんですよね。山梨に引っ越されたきっかけは?

ガラスをやるのに場所が必要で、広い場所がなかなか無くて。それでですね。

—  ガラス自体はいつ頃からやっていたんですか?

東京にいたときからです。

—  美大で学ばれていたとかですか?

いや、普通の大学でした。経済学部です。でも、うちのおじいちゃんが絵を描いてたんですよ。玄関に置いてあるやつとか。別にプロではなくて、ずっと趣味でやってたんですけど、その影響はあったかもしれないですね。何かを作ることが身近だったというか。

ただ、当時は絵を描こうとは思わなかったですね。なんというか、作ること全般というより、ガラスに興味があったんです。吹きガラスをやるっていうことに。

—  かなり一直線だったんですね。

そうですね。やろうと思ってからは、ずっとうわーっと、どうやったらいいんだろうって感じで。北海道に行ったり、広島に行ったりとしてました。

—  工房を巡って、修行するような感じで。

そうですね。修行みたいな感じで。技術が結構難しいから、いろんな場所でやり方を見たりして。

なかなかいい働き場所って少ないんですけど、広島の師匠がすごく良い師匠だったので、そこでお世話になることになって。本当に一年中、朝から晩までガラスでした。ガラスか庭掃除か、みたいな感じで(笑)。

—  まさに修行ですね。

そうですね。週の半分は工房に泊まり込んでました。

—  その師匠というのは?

舩木倭帆(ふなきしずほ)先生です。もう亡くなられているんですけど。今の自分にとって、技術的な土台はほとんどその先生からですね。師匠はピッタリとした食器をたくさん作る方だったので、僕の今のスタイルとは全然違いますけど(笑)。

—  何歳くらいの頃に広島へ?

最初に行ったのは24、25歳くらいですね。そこから5年ちょいやって独立して、30か31くらいで山梨に来ました。

—  大学に通っている頃から、ガラスをやりたいと思っていたんですか?

そうですね、3年生の頃からガラスをやりたいと思うようになって。当時、週に1回、吹きガラスの講座があって。それに3年くらい通ってました。アルバイトして、そのお金で。
みんなは普通に就職活動するんですけど、僕はしなかったので、親にもめちゃくちゃ反対されました。でも押し切ってやってましたね。

—  それだけやりたいことが明確だったんですね。

うーん、やりたいことが明確だったというより、他にやりたいことがなかったっていうのも大きかったと思います。それに、最初の頃の吹きガラスって楽しいんですよ。吹いて、形にしていく。あれが面白くて。

たぶん、働くっていうこともあまり考えてなかったですね。一応それでご飯を食べていこうとは思っていた気がするけど、今思えばそんなに何も考えてなかったです(笑)。
どこに就職するとか、そういうのも全く考えてなかった。上手くなりたい、それだけだったと思います。

—  どうしてそこまでガラスに惹かれたんですかね。

おじいちゃんが昔「自分が若かったらガラスをやりたかった」みたいなことを言っていたこともあって、そういうことを思ったりしたのかもしれません。あと、自分は職人向きの性格なんじゃないかと思って。人と一緒に何かやるより、一人で打ち込んでいくほうが向いてるんじゃないかって。たぶん、そういうのがなんとなく重なったんだと思います。


—  独立後は順調でしたか?

そんなこともないんですよね。へそ曲がりなんで、師匠のところで勉強したけど、師匠と同じ形は作りたくないって思って。独立して最初の頃は、ただの真っ直ぐのコップをひたすら作ってたんですよね。そりゃメシ食えないですよね(笑)。
しかもガラスって、すごくお金がかかるんです。設備投資だけじゃなくて、維持費が半端なくて。電気代とかもあるし。
半年アルバイトして、半年ガラスを作る、みたいなことをずっと繰り返してました。でも、それじゃやっぱりダメで。

—  そこで一度、ガラスをやめた。

そうです。就職しました。完全にガラスはやめようと思ったんですよ。一生やらないつもりで。もう終わりだって。2年くらい、一切やってなかったです。
家族にも散々迷惑かけてきたし、ご飯も食べられないし、稼げてないし。みんなに反対されて始めたことだったので、もう散々やったし、いいかって。それに、ちゃんと働いたことがなかったから、働くのもいいんじゃないかって。何か面白いことあるかもしれないと思って就職しました。

—  なるほど。就職されてみた感想は?

最初は、お金めっちゃもらえるなって(笑)。こんなにもらえるの?ってびっくりしました。
でも、だんだん笑えなくなってきて。面白くなくて。
会社って組織なので、一人で決められないじゃないですか。当たり前なんですけど。ちゃんと外堀を固めて、順番にやらないといけない。でも、僕はそれを知らなかったから、ちょっと暴走してたんですよね。言っても何も変わらない、みたいなことがずっと続いて、つまらなくなっちゃって。今思えば当たり前なんですけど、他で働いたことがなかったからそういうのが分からなくて。


—  やはりもう一度ガラスをやろうということになるんですね。

そうですね。迷いもあったんですけど、その頃はもうなんのために生きてるのか分からなくなっちゃっていて。なので、再開して改めてガラスに取り組むようになりました。

—  ペコリグラスはどのようなきっかけで誕生したんですか?

最初に作ったのは、実はビールグラスのほうなんです。甲府に「五味醤油」っていう味噌屋さんがあるんですけど、そこの人に「ビールを作るからグラスを作らない?」って言われて。これを作ったんですよね。



醸造家さんから、同じグラスで飲み口が厚い部分と薄い部分の両方が楽しめたらいいねっていうアイデアをいただいて、こういう形が出来上がって。いくつか作って撮影していたら、そのカメラマンの方が、一番曲がってるやつが好きって言ったので、この形になったんです。それが切っ掛けですね。
そこまで売れるとも思ってなかったです。けど、そのタイミングで野尻湖の「LAMP」っていうサウナ施設に「五味醤油」さんと行ったら群馬の「パーヴェイヤーズ」の小林さんとたまたま出会って。「五味醤油」さんは賢い人なんで、どこへ行くにもグラスを持って行ってて(笑)。そこで小林さんに見せたら、「いいねこれ、じゃあ100個ちょうだい」って。そこからだんだん人に知られるようになっていきました。

—  本当に偶然だったんですね。

偶然ですね(笑)。そのあと、ビール用を作ったからワイン用も作りたいなと思ったときに、もう山梨に引っ越していて。周りにある花が風で揺れてるのを見て、これグラスじゃんって思ったんです。
それで、花が風で揺れているイメージで作ったのがペコリグラスです。最初は、むしろそっちのほうがメインでした。

—  技法としては、どういう作り方なんでしょうか。

いわゆる吹きガラスというものです。そんなに難しいことはしてなくて、すごく単純な技術の中で作れるものを作ってるっていう感じですね。こっちから吹いて、こっちから切り離して、小さい部分を広げていって。その途中でまた口になる部分をつけて、焼いて広げて、最後にちょっと曲げて完成、みたいな。

一年中制作してるんですけど、夏の8月、9月の2ヶ月が休み。
あと、2ヶ月に一度、火を落とすタイミングがあるんですよ。中に壺が入っていて、それを交換しないといけないので、そのたびに2週間くらい制作できない。
また火を入れて、また止めて、壺を替えて。8、9月にまとめて休んで、またそのサイクルに戻る。ずっとそれの繰り返しです。その合間に展示会があって、販売は展示会だけ。常設もやってないし、ここで売ることも一切しないです。

—  とてもシンプルですね。

シンプルですね。いろいろ考えちゃうと、身体が動かなくなっちゃうんで。

—  今は”生活”と”作ること”もかなり一体化していらっしゃいますよね。

そうですね。ただ、それも意図してこうしたわけではなくて、たまたまこうなったという感じです。むしろ、繋がっていると、少し離れてるほうがいいなと思うこともあります。境界がないので。でも、夜中も窯を見るために起きるんですよ。だから、やっぱり近いのは便利かもしれませんね。同じ敷地内で、建物が繋がってないくらいがちょうどいいのかもしれないです(笑)。

—  この辺りでの暮らしはどうですか。

すごくいいですよ。集中できますね。作る以外やることがなくて。なんか、ずっと仕事してます。

—  そういう環境が小牧さんに向いてるんですかね?

向いてると思いますね。分かんないですけど(笑)。2ヶ月製作してると、めっちゃ疲れるんですよ。だから、窯の中の壺の交換で休むことになる2週間は本当に何もしないって感じですね。

あとは、車でちょっと行ったあたりに「発酵デパートメント」っていうお店ができて。友達の小倉ヒラクくんがやってるので、そこにたまに顔を出しに行ったりはします。この物件もヒラクくんに紹介してもらったんですよ。

—  この先の製作についてはどのように考えていますか?

難しいですね。ただ、グラスはずっと作っていきたいです。いろんなことに手を出すというより、グラスとか、たまにランプシェードとか、そういうものをずっと作っていければいいかなって。

—  海外での展開はどうですか。

ありますね。全体のだいたい6分の1くらいが海外です。
アメリカ、中国、この前ロンドンに少し持って行ってもらって、あと今度シンガポールでもやるのかな、くらいです。特定の国に偏ってる感じではないですね。今のところは。


—  国内での展示も定期的に開催されていますよね。「stacks 」のご近所さんでもある「trine gallery」での展示もいつも大盛況で。

ありがたいことに東京での展示にはいつもたくさんの方に来ていただけるので、都内ばかりではなく他の場所でも展示はやっていきたいです。とはいえ、自分で展示を企画するわけではないので、売ってくれる方に気に入っていただけないとダメなので。ご縁が来たときにお受けして、という感じです。
そういうことを考えながらも、ずっとモヤモヤはしていたりもして。

—  そのモヤモヤというのは?

作ってるものに対してですね。気に入ってるし、良いと思って作ってるんですけど、なんかずっと「うーん」って思ってます。もっと良くなるんじゃないか、とか、そういう単純な話でもないんですけど、ずっとうーんって思ってる。100パーセント満足してることは全然ないです。

—  その感覚は、昔と今で変わってきていますか。

3年前と今では違いますね。3年前はそんなことを考える暇もないくらい作ってました。もっと売れなきゃ、もっと売らなきゃって、それしか考えてなかった。ちょうど食べていけるようになり始めた頃で、本当にがむしゃらだったし、考える余裕もなかったので。今は余裕が少しできたぶん、「うーん」と思いながら、モヤモヤしながら作ってますね。

—  新しいものを作りたい、ということとも少し違うんですかね?

そうですね。たぶん、新しいなにかを探してるんだとは思います。でも、とっぴなことをやればいいわけじゃないし、そんなに変わったことをやりたいわけでもないんです。
でも、なんかね。すごい抽象的だと思うんですよね。ハッキリ形が見えないから、感覚で、感情的なところをもうちょっと入れたいのかもしれないです。同じものを作っていても、今回はちょっと哀愁があるねとか。そういう感覚をもっとグラスに取り入れたいって考えてるのかもしれません。見てる人がどう思うかは分からないですが、単に曲がっていれば良いって訳じゃなくて(笑)。感覚や感情を作品に閉じ込めたいんだと思います。

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