祖父から受け継いだ小豆アイス
「AMEYA AISU」 捧さんのアイス作り
Text:Maruro Yamashita Photo:Yumi Saito
新潟の小京都と呼ばれる加茂。神社やお寺の多いこの地域において1897年に創業し、街の生活に根差した商売を続けていた「青木飴屋」。創業100年以上の老舗である店舗の真隣に、2018年にオープンしたのが「AMEYA AISU」。店主は「青木飴屋」の5代目でもある捧泰士さんことやっさん。祖父の時代に青木飴屋で提供していたという小豆アイスを復活させ、加茂の街にまた新たな風を吹かせている泰士さんに、これまでのこととこれからのことについて話を聞きました。
― やっさんは青木飴屋の5代目ということですよね。
そうですね。隣の「青木飴屋」は母の実家で、当時は祖父ちゃんと祖母ちゃんが住んでました。僕は4人兄妹なんですけど、兄と姉がいて俺がいて妹がいて、小さい頃から孫の中で僕が店の手伝いを一番していたかもしれないです。

中学では部活にも入らずに、土日になるとここで小遣い稼ぎしてって感じでした。
― その当時から、この商店街は今のようなローカルな雰囲気だったんですか?
かなりローカルだと思いますね。だけど、今は新潟県の中で最も綺麗なんじゃないかと言われているんですよ。シャッターも増えてますけど、他所から来た人から、加茂は良いとこだよねみたいな感じで言ってもらえることもすごい多くて。

― 商店街を歩いていたら、小京都と書かれた看板を目にしました。加茂は小京都とも言われているんですね。
それにもきちんとルーツがあって。青海神社ってのがあるんですけど、そこが元々京都の人たちが開拓してくれたところで。神社自体も京都の賀茂神社の分霊地で。格式が高く、歴史的なルーツもあるんです。お寺の数も多いし、街の作りもさりげなく碁盤の目みたいになってるんですよね。
― 景観が綺麗だからというだけでなく、歴史的なルーツを持った街なんですね。
そうですね。ガキの頃、お寺までの配達とかしょっちゅうでした。法事とか法要があったら、料亭とか割烹さんに仕出しでおこわの配達に行ったり。
― そうやってお手伝いをているうちに、大人になったら自分がお店を継ぐんだという気持ちが育まれていったんですか?
ガキの頃の記憶も良い記憶しかないんで、ここは無くならないで欲しい場所だと思っていたんですけど、高校生くらいの頃はラジオ局に勤めたいとも思ってたんですよ(笑)。音楽がずっと好きだったので、ああいうミキサーとかツマミを触ってみたいな、音楽の仕事をしたいなって。それで、音楽の専門学校に行こうとしたり、アメリカに行きたいんだよねって祖父ちゃんと祖母ちゃんに言ったときは、鬼のようにキレられて反対されて(笑)。
それには理由があって、母の兄である叔父さん、本当は店を継ぐべき人間が寅さんみたいな人で(笑)。21才で加茂を飛び出して、ロサンゼルスで会社を立ち上げて20年間ずっとアメリカにいて、次は上海に移り住んで20年。60過ぎてからようやく日本に帰って来たという人で、お前もあいつみたいになるのかって(笑)。

でも、高3くらいのときに祖母が亡くなったんですよ。三代目の女将さんですね。その葬式のときに、いろんな人からやっちゃんが店継ぐんだろって言われて。そうだよな、皆なんかあったらここに帰って来たいんだよなって思って。音楽はいつでもできるし、一気に進路を変更して調理師学校に入ったんです。
― なるほど。大きな転機となったんですね。調理学校にも行ってたんですね。
そうなんですよ。料理もできるようなりたくて。今でも店ではアイス以外に料理もお酒も出してて。専門学校卒業して、どこかに勤めようかなと思ったんですけど、祖父からすぐ入ってくれよ、色々教えたいしと言われて。「青木飴屋」は今は餅がメインで、寒くなると飴を作るっていう感じで。神社の千歳飴をうちが作ったりしていて、そこが周期的に飴仕事の始まりみたいな。そうやって、街の文化に沿っているお店なのかなと思いますね。

― そこからはもう「青木飴屋」の仕事一本で、「AMEYA AISUの」オープンに繋がるんですか?
そういう訳でもなくて(笑)。お店にはめちゃくちゃ人が来ていたので、うちの店は儲かってるんだなと思っていたんですけど、いざ店に勤め始めたら、給料の家族割が酷過ぎて(笑)。なので、高校生から続けていたラーメン屋さんのバイトもやりつつ、それが終わったらレストランで働いて、朝起きたら「青木飴屋」で働いてって感じで。それ以外にも、近所の割烹が結婚式の時に新郎新婦を乗せる人力車をやっていたんですけど、あるとき人力車の車夫がいなくて、近所で体力ありそうなやつってことで声がかかり、一時期よく人力車も引っ張ってましたね(笑)。色々やってました。”Some City”っていう、バスケットの3on3のリーグがあるんですけど、それの新潟の大会でメインMCも何年間かやってたし。

― では、どういう切っ掛けで「AMEYA AISU」をオープンされたんですか?
この物件はもともと別の人が持っていたんですけど、テナントを買い取ってほしいと頼まれて、うちで買い取ったんです。それでしばらくは化粧品屋さんに貸していたんですよ。でも、その化粧品屋さんが年齢的に引退することになって、空いちゃうなと思って。商店街で一番ダメなのは、シャッターが閉まることなんですよ。借りたいと言ってくれる会社もあったんですけど、どうせならもうちょっとスポットを作らないとなと思っていたら、母親が「小豆アイスでしょ!」って。うちがもともとやっていた商品なんですけど、近所の床屋さんとか神社に行くと、「あのアイス美味かったんだよな〜」って、近所の人によく言われていたんですよ。


当時の写真が飾ってあるんですけど、祖父とひいばあちゃんの時代からやってたんですよ。その頃は雪屋さんていう雪を配達してくれる人がいて。氷じゃなくて雪。七谷っていうエリアがあって、谷ごとに気候が違うんですよ。夏でもそこから雪を運んできてくれていたみたいで。
― お祖父さんが作っていた小豆アイスを復活させることになったんですね。
そうですね。2018年の8月に「AMEYA AISU」としてオープンしました。どうせ何かやるなら、単にカフェとか居酒屋じゃなくてルーツがあるものをと思って。

そう考えたら小豆アイスだったんですよね。この辺りのお爺ちゃんやお婆ちゃんたちが昔食べていたのを復活させて。最近、死ぬ前に最後に食べたものがうちのアイスだっていう人が結構多いんですよ(笑)。

― それはすごいことですね。本当にこの地域の人たちの生活に密着してますね。
最後に飴屋さんちのアイスが食べれて良かったわって言ってお婆ちゃん亡くなったのよって言われたりして。実際、うちの祖父ちゃんもそうだったんです。2年前に老衰で亡くなったんですけど、前日の夜に食べたのが俺のアイスだったんですよ。
そういう人が身内以外にも何人もいるんですよね。夜、風呂上がりに近所の人が散歩がてら来てくれたりして。美味しかった〜って、喜んで帰ってくれる。
そういうのって、思い出になるじゃないですか。自分が昔、近所を祖父ちゃん、祖母ちゃんと、夕飯食べた後に散歩したみたいな記憶みたいに。そんな思い出をここで生み出せてるのかなって思います。

― 継ぐことに意味のある場所だったんですね。
そうですね。僕にはそれがデカいかもしれないですね。誰かが継いで守っていれば、絶対に良い思い出は残るから。色々考えるとそこですかね、やってる理由みたいなのは。
― ちなみに、アイスのレシピ的なものは、お祖父さんの頃のものを参照してるんですか?
小豆アイスはまさにですね。他のレシピは、店で使っている<カルピジャーニー>っていうアイスマシンのメーカーが最初デモンストレーションというか、基本的なアイスのレシピを教えてくれて。元々料理をやってたから、基本的なものを教わったら、あーなるほどな! って悩まずにすぐ理解できて。


それに関しては、「青木飴屋」の給料が低くて本当に良かったです(笑)。給料が高かったら、俺はいろんなところで働いてないし、胡座かいてただろうから。元々のめり込むタイプだし、他の飲食店で働いてた経験が活きてますね。

― アイスのレシピとか、フレーバーを考える上で大切にしてること、意識してることは?
一口食べた瞬間にその素材が分かるような、特徴的な材料を使うようにしてます。アイスにさせて頂く、の方が強いのでそのものを食うよりも本当に美味しいか、はたまた違う路線で美味いって思えるようなものになれるようにってことも意識しますね。新潟だしお米のアイスやらないの? とか言われることもあるんですよ。そりゃ勿論美味しくはできるけど、炊き立ての飯より美味いものないだろ、なんでアイスにするんだよって思っちゃうし(笑)。そういう感じで、わざわざアイスにしなくていいものとかは選ばないです。

うちは今シングル450円、ダブル500円なんですけど、やっぱりコンビニとかのアイスに比べたら高いだろうし、お爺ちゃん、お婆ちゃん、小さい子どもたちも来るから、一口食べてこれだ! って味がわかるもの。その400円の中でちゃんと超えられるものを作りたいってのはありますね、せっかく頂いてるから。
たまにすごい複雑なやつも作るんですけど、うちのアイスは食べてすぐにこの味だ! って分かるような、敢えて定番どころをどストレートに出してます。余計なことを考えさせない美味しさっていうか。

― 街に根差したお店っていうことであれば、大人から子どもまでが美味しいと思えるものを提供したいですよね。
そうなんですよ。これで良いんだ~みたいな。食べて明確に美味しい物ってのが最低限。そういう中で、たまには凝ったものも出せるぜって方が格好良いのかなって。基礎がしっかりしてるじゃないけど、そこなのかな。俺はおしゃれなところも好きだし、美味しいしすげーなって思うけど、やっぱ街の食堂とかも好きだし。



― 子供の頃から通っている商店街に在る意味ですね。
そうですね。露骨に街の中にいたいんですよ。飾らないスタイルで。たまに変に格好つけたのを出すくらいがギャップがあるかなって(笑)。あ、そういうのもいけちゃうんだみたいな。それが僕のアイス作りですかね。
