オカタオカが語る
描くことは、好きなこと

Text:Maruro Yamashita Photo:Yumi Saito
MARCH 14 2026 | 

雑誌や書籍、アパレルブランド、広告など、ジャンルを軽やかに横断しながらイラストを描いてきたオカタオカさん。国内外での個展や絵本制作など、活動の幅をマイペースに広げる一方、故郷・鹿児島のデザインオフィス< ジャッド >とともにカーアクセサリーブランド <Highway> を手がけるなど、その表現は暮らしの周りへと自然にひらかれている。そして、<stacks bookstore>が<Recycle Shop SPACY>とコラボレーションして製作したTシャツやスウェットのグラフィックも、彼の仕事のひとつだ。自分が本当に好きなもの、気になるものにまっすぐ向き合いながら描き続けるオカタオカさん。その飾らないスタンスと、表現に対する率直な想いを、鹿児島の彼の作業場にてじっくりと伺いました。

― 地元は鹿児島のどの辺りなんですか?

地元は大隅半島の方で、太平洋側です。

― 一時期は東京に拠点を置かれていましたよね? 上京はどういった切っ掛けで?

高校のときに美大を受験したんですけど、落ちて。浪人したんですけど、もういっかなと思ってわりと実家から近い宮崎の大学に進学したんです。で、そこを卒業してから桑沢(注:専門学校の桑沢デザイン研究所)に通うことになって、上京しました。

― 大学を卒業し、改めてデザインを学びたいと思われたんですね。大学では何を学んでいたんですか?

そうですね。メディア論を専攻していたんですけど、そこのゼミの先生が若いときに桑沢でメディア論を教えていた人で。ゼミの一個上の先輩にも、卒業してからそのまま桑沢に行った人がいて、その先輩に色々話とか聞いたりしていて、ちょっと桑沢行こうかなみたいな。あとは、就職活動したくないみたいのがデカくて

― なるほど(笑)。

あんまり、社会に出たくなかったっていうのが大きいですね。

― 宮崎で大学に通っていた頃も絵は描かれていたんですか?

全然描いてなくて。何も描いてないですね。桑沢に行くための受験勉強としてくらいですね。

― では、今に繋がるものは桑沢時代に。

元々桑沢にはグラフィックデザイナーになろうと思って入ったんですけど、デザインがあまり出来なくて。デザイン、ちょっとよく分からんなってなったんですけど、課題で自分の絵を使ってデザインしていたら、デザインより絵の方が良いんじゃない? って周りに言われるようになって。そっからイラストレーターというものを意識して、ちょっと描きだしたんです。


桑沢に通っていたくらいのときに、zineブームが始まって。ちょうど最初の方の3331(3331 ART FAIR)に友達と一緒にブースを出したり。まだ曽我部さんが下北沢でやってた頃の<commune>で友達三人とグループ展をしたり。そんな風に活動していました。

― そういった活動と並行して、クライアントワークも幅広くずっと続けられていますよね。個人での製作とクライアントワークにおけるスタンスの違いってどの程度ありますか?

どうですかね。クライアントワークは、これを描いてくださいという指示があるので、向こうが期待している以上のものはやっぱり返したいなと思っています。それくらいですかね。
でもたまにクライアントワークによって描いたモチーフや構図などが作品の方に反映されることもあるので互いにいい影響を与え合っていると思います。


24年12月に鹿児島の<OWL>にて開催されていた個展”WALL OF SOUND”の様子

― 日本各地で巡回していた個展”WALL OF SOUND”では、音楽がテーマとなった作品を制作されていましたが、活動を続ける中でインスピレーションを受けるものに変化はありますか?

素直に自分が好きな世界観を、うまくエッセンスとして落とし込んで自分の作品として描けるのが良いのかなとは思っています。

― そういった影響を排除せずに、うまく作風として取り込んでいきたいんですね。

そうですね。背伸びしてもあまりうまくいかないことが多いと思っていて。自分が好きなことであればそれに寄り添えるというか、付き合っていけるので。だから描いたことのないモチーフでもなんでも描けるようにならなきゃ! とか、ああいう仕事が貰えるようにこういうシチュエーションの絵も描けるようになろう! みたいなことはあまり思っていなくて。

本当に自分の好きな、半径何メートルか分からないですけど、そういう世界観のなかで描いているという感じです。だから身近なモチーフが多いのかもしれないですね。

― では、<Highway>を始められたのは、車に対しての興味が大きくなってきたことが、表現として結びついたということなのでしょうか?

元々車はずっと中学生から好きなんですけど、イラストで生活し始めたばかりの頃は、一生車を持つことなく死ぬんじゃなかろうかみたいなことを思っていたんですけど、なんとか東京で1台目の車を買うことができて。でも、いざ車に乗ってみて<オートバックス>とかに行くと、何も欲しい物がないっていう現実に直面して。
<Highway>って自分たちはCAR CRAFTみたいな感じで呼んでるんですけど、車ってある意味自分の部屋の延長みたいな部分があるじゃないですか。なので、車の中をもっと自分たちの居心地良い空間にしたいなと思って。最初は車に貼るステッカーから作り始めたんですけど、鹿児島にある<ジャッド>っていうデザイン事務所の清水さんに一緒にステッカーとか作りませんか? って誘ったんですよ。

清水さんて鹿児島の作家界隈とかで知り合いが一番多いくらいの人で。せっかく鹿児島でやるんだったらプリントものだけじゃなくて、ちゃんと物を一緒に作るのはどうですか? と、提案されて。バックミラーのところからぶら下げるエアーフレッシュナーを自分がデザインして、友人の秋廣琢と相談しながら作ったり。一輪挿しがあったら良いよなと思ったので、軽くデザインをして<ONE KILN>ていうところに陶器をお願いして。そうやってどんどん車の中を、自分の部屋じゃないですけど、そういう空間に出来たら良いなっていう思いで、<Highway>をやっています。

― 作品に関してはオカタオカさん一人で完結することが多いと思うんですけど、そうやって色々な人と関わりながら、作品じゃないですけどアイテムを作っていくことによって、また気付きだったり、それこそ興味の半径が拡がったりということがありそうですよね。

そうですね。それはめちゃくちゃあって、お互い全然違うような感じにも見えると思うんですけど、絵を描くことも<Highway>のことを考えるのもやっぱり繋がっていて。世間の人にとっては、オカタオカと<Highway>は別というか、そもそも<Highway>を僕がやってるって知らない人もたくさんいると思うし、それが面白いと思うんですけど。まぁやっぱ<Highway>も鹿児島だからこそできることなのかなとは思いますね。

― 動物だったりとか、熊だったりとか、同じモチーフを描き続けるのに理由はありますか?

元々、熊が好きなんですよ。星野道夫さんとかも好きで、そういう影響もあって。あと、熊って冬眠するじゃないですか。越冬して春を待つ。その感じが自分に合ってるのかなと思って。自分てスロースターターというか、実際のんびりしていて。

冬眠ていっても、熊だってただ寝てるだけじゃないですよね。冬を越せるだけの力を蓄えてる訳だから。季節の春ではなくて、自分にとっての春が来るまで、力を蓄えるといういうところが自分の人生じゃないですけどパーソナリティとなんとなく被るなって思って。後付けではあるんですけど。

― 自己投影もしつつ、描くモチーフとしても好きなんですね。

そういうことですね。本当に、自分の興味があるところしか描けないみたいなところがあるので。


― 絵を描くことはオカタオカさんにとって仕事でもあるけど、楽しみでもあるんですね。

そうですね。好きなことを伸ばした方が良いと思ってます。それこそ小学校のときとかって、全部求められるじゃないですか、規律として。向いてなかったなって思うので、そういう意味も含めて。

― 今後描きたいもの、作りたいものっていうのも、大きな目標に向かってというより、日々の中で少しずつ見えてくるという感じになりそうですね。

そうですね。同じことをずっとやるっていうのも自分的に面白くないので、ちょっとずつちょっとずつ。例えば”WALL OF SOUND”っていう展示は22年に始めていて、最初も<OWL>で展示をしたんですよ。でも、そのときの絵と24年のものって、そこだけ見ても自分の中でも全然違うなって思うんですよ。それが自分でも楽しいなと思いながら描いています。

― その違いってのは、具体的にはどういうところですか?

あんま細かいことを気にしなくなったりとか(笑)。なんていうんですかね、どういうタッチで描いても自分の絵だなって思えるようになったんですよね。他の人が見たらどうか分からないですけど、以前は「これ自分の絵っぽくないな」と思いながら展示してた絵もあって。でも今は、描くものすべてがちゃんと自分の表現だと思える。だからこそ、描くこと自体が前よりずっと楽しくなりました。

オカタオカさんが手がけてくれた<stacks bookstore>と<Recycle Shop SPACY>のコラボレーションアイテム用グラフィックはこちら

 

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